平成最後の終戦記念日
来年度、平成から新しい元号に変わります。
今年の終戦記念日は、平成最後の終戦記念日になります。
昭和20年8月15日にポツダム宣言が受諾され終戦し「敗戦の日」になりました。
37年経った後、それは、「戦没者追悼と平和を祈念するする日」となり
73年経った今でも、愚かな戦争を忘れぬように紡がれて来ました。
しかし近年、終戦記念日に祈年祭等が開かれ風習として知っている子供はいるが、
何の為に、その催しが行われているのか知らない子供が多いと伺います。
更には、原爆投下された事実は知っているが、被害がどんなものだか良く判らない為
原爆公園を見に行って、「原爆が落ちたのが公園でよかった」とか、
学徒動員があったことを聞いて、「学校(義務教育)はどうしたの」等の質問や返事があるそうです。
徐々に、戦争の事実や深刻さが風化してしまっているように感じられます。
一人一人の終戦
私は、仕事柄、戦時中を経験された方と、お話をする機会がとても多く、色々なお話を伺います。
一人は、
夜間、空襲に襲われ中学生の頃に、妹を背負って夜間走り続け、恐怖心がその時どれだけあったか話をして頂いたり
一人は、
軍需工場にて、ゼロ戦を組んでいたが、終戦が近づいた時に特攻隊に配属されたが、
出撃前に、玉音放送があって内心どれだけ安心したか、然し上官が近くにおり、そんな顔もできずにいて
土下座をして顔を隠した話をして頂いたり
一人は
終戦後帰ってきたら、家が中央線沿いにあり、空襲で近辺が焼け野原になっており、元在った家の近くまで来たら
ギリギリ焼け残っていて、家があったことの感動を教えて頂いたり、
一人は
闇市での取引は農家が最強だった等の話を伺ったり
色々な戦時中・戦後・それからの復興をどの様な人生を歩んで来たか聞く事・教わる事が出来ます。
戦争の歴史教育の希薄化
上記の様な経験を、伝えたり、聞いたりする環境が近年希薄になってきているのは、事実だと思います。
昔私が学生の頃は、歴史の授業で戦争経験者の講和を聞いたり、
質問して実際にどの様な生活が行われたのか、実体験で話を聞くことが出来ました。
近年では、高齢化が進み、その様な場所へ赴くことも経験者は難しくなってきており、
その様な機会が減っているのも事実です。
更には、教育者の若年層化に伴い、実際にその様な話を聞いたことの無い世代が教育者となっており、
戦争の悲惨さをあまり知識のないまま、教えてしまっていることも挙げられると思われます。
動画や・画像で伝わらない実体験の話に触れることが、少ないのかと思います。
戦争は忘れても良いのだろうか?
悲惨な戦争の話を、現代の様な豊かな時代でそこまで執着して教え込む必要性があるのかは、
個人、各々の考え方になると思いますが、
アメリカが非核化に動き、今後、核の危険性が無くなったとしても、
私は、教える必要はあるのかと思います。
国を跨げば、内紛等で命を失う子供が居たり、未だに国同士で戦時中であったり、
争いが絶えない環境が有ります。
片やアジアの端っこの日本では、夏になったら海へ行ってのんびりしたり、花火をやったり、
はたまた同人誌を売り・買いあさる為に、コミケをやったりしているほど平和が保たれています。
全世界がこんな平和な状況であれば、悲惨な戦争の話をする必要性は無いでしょうが、未だに戦争が絶えない事を見ると
今後も多感な年ごろの子供たちに対して、どれだけやってはいけない事なのか教えていく責任は、我々にもあると思います。
自分が出来る伝え方
私も、子供が2人いますが、日々生活に追われてしまい、
どの様な事を、子供に教えて行かなければいけないのかを悩むことが少なく、
この様な記事を書くことによって、自分で出来る伝え方を悩むことが出来ました。
近い将来、戦争の無い世の中を迎えることが出来れば、人間は豊かな生活を送ることが出来るのでしょうか?
それとも、この様な戦争がどこかで永遠に続いてしまうのでしょうか?